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正直者はバカをみない時代

今、そしてこれ以降は、まさに「正直者がバカをみない時代
に入りつつあります。

道徳や宗教の教えでは、「正直は美徳」「ウソはよくない」
言いつつも、現実には、そのまんまを実践して生きてきた人
はほぼ間違いなくバカをみてきました。

逆に、不正、キタナイこと、インチキをやってきた人はトク
をした、ものでした。

ちなみにこのトクとは徳と差し引きによって得たトクなので
必ず本人、もしくは本人がこの世に不在になった場合は
その子孫にツケの請求は回ります。


生まれついて、非常に不利な状況下にある人の場合、
本人の前世からのツケか、生まれ落ちた家系のもつ
ツケか、いずれかに該当します。

この世的な金銭的なツケの踏み倒しは可能であったとしても
この世、あの世の枠を取っ払った全宇宙規模でいえば、
これは通用しません。

宗教的には「神様は全てお見通しだから」
庶民的表現では「お天道様はちゃーんとお見通しだから」
という言葉でも言い継がれてきている通りです。

時代が変わってもこれらの真言(ここでは、しんげん。not しんごん)
は宇宙法則に従ってるので不変です。

過去世にて、今世にてツケの溜まっている人、逆に
徳を積んできたことで果報者という人、いずれもプラス
を増やしたいであろうことだけは共通しています。


違いは?


そのやり方がわからない人か、わかっている人か、
に終始することと思います。

小細工、付け焼き刃の対処では通用しません。

いわゆる、本腰を入れて立ち向かうことです。


果報者の方はその果報を必要な方に配ることで
更に増資が可能です。

ああ、恵まれている方については今更、私が言う
必要はありませんでした。
ここまでにしておきます。


ツケが溜まって、困っている、という人への話を
進めます。

但し、亮然がガイドできる対象者はツケの程度
というものがあります。

実は、このブログを訪問する人達の面子としては、
大金持ちに対しての小金持ちならぬ
大徳持ちではなく、小徳持ちの方々です。

また、ツケはあるものの、解消できないレベルではない、
実はこのタイプの方々が最も集まる処です。


私、亮然も、ここを訪問することになっている人同様、
正直者の一人です。

ですので、バラします。

「どんな方でもガイドします。任せてください」と言ったら
ウソになります。

だからガイドを請けおうまでに、幾つかのフィルター
が敷居があります。

正直な人でないと全てをクリアして来ることはできない
仕掛けとなっています。


自分にはツケはない。果報だけがある。それも十分に、
とココロから納得できている方は幸いです。

繰り返しますが、必要な方へお裾分けしましょう。
方法にだけはくれぐれも氣をつけて、ですね。


小金持ちならぬ小徳持ちの方は、じっくり増やして
行きましょう。

プラマイぎりぎり、明らかにマイナス気味とわかる人は
早急に勉強を始めましょう。

今、まさにその真っ最中である「人生」について。
取り巻く世界の構造について。

その教科書である「超・旅「人生」ガイド」電子本
を一晩で読了したインクレディブルな人がいます。
@toratoralion さんです

著者である私が三ヶ月を投じて、それこそ総力をあげて
書き下ろした本を一晩で・・・、とは一体、何者?と
まさにシンジラレナイ!ことでした。

そして、昨今、クライアントとしてガイドに付いている中、
「さもありなん」と、やりとりの一つ一つが納得の連続。


ようやく、腑に落ちた、ところです。





 
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努力よりも「要領」が大事のこと

「努力が大事か要領が大事か?」の問いについては「同じ土俵に上げて比較する対象同士ではないようにも思えます」と昨日の本ブログ上で述べました。
 

そう、確かにそう述べはしたものの、実は本日の標題の通りが、
暫く前から、シンプルにわたくし亮然の認識です。
 

私自身の歴史を振り返れば、当初はこの真逆をやっていました。

当時の学校教育、親の教え、社会全体の風潮としてもまさにそのような
あり方一色でした。

「あの人は、要領がいい人だ」などと言われようなものなら、
ほぼ全員から白い目で見られたものだったでしょう。


ここで言う「要領」とは、セコイもの、付け焼き刃的な手練手管
といったものではありません。


基本的な物事の道理を知っていることがベースにあるものを指すので、
とてもとても、セコイ考えの人に及ぶものではありません。


「要領」を得る為にはどうするか?

それは「学び」です。
 

「理論と実践をクルマの両輪の如く日々、回しつつ前進していく」
に尽きます。


何も努力をしない人とは実は本当の意味で「要領」のよい人には
なれないでしょう。
 

学びを面倒くさがり、小手先だけの付け焼き刃的技でその場、
その場を乗り切って行こうとする人は人から、
いわゆる(良くない意味での)「要領のいいヤツ」
と言われることでしょう。


超・旅「人生」ガイド電子本から、人生、ひいては高次元宇宙の
構造を学んだならば日々、実践に落とし込んで下さい。
 

厳しい言い方になりますが、「読んだ」だけでは無意味です。

それでは、時間と労力と金銭の投資無駄でした。


参考までに、私がこれまでに行ってきた読書の知恵を
ここにお裾分けします。


本はまず、「一回読み」では終わりません。五段活用します。

①読みながら、ポイントを見つけたら、ページの端を折る、
 ラインを引く(文字に沿って垂直ではなく行に沿って水平
 に、が時間短縮のミソです)。

②自分なりの考えがあれば余白に書き込む

③重要箇所はPCに入れる。ポイントといえる箇所の多い
 ページはスキャニング+OCR処理にてテキスト化。
 少ない場合は手入れ

④PC上にてエッセンスのみを集約した状態のものに目を通す。

⑤PC内にセッティングした、読みあげ機能を利用して「耳学習」


以上となります。


 



努力or要領? 超・旅「人生」を楽しむ為に

 

問題提起として上記のような標題を掲げていますが、実は同じ土俵に
上げて比較する対象同士ではないようにも思えます。


私の電子本の中でも、人生という旅を続けていく上で不可欠な肉体を
クルマに例えていますが、このハードウェアに当てはめて説明します。

先ず、「努力」とはアクセルに、そして、「要領」とはハンドルに
該当します。


標題の質問では、クルマにおいて、アクセルとハンドルとどちらが
大事?と聞かれているようなものです。

つまりは、人生旅を進めていく上では、どちらも必要不可欠、
ということです。


★さて、ここからが亮然による人生ガイドです。

実際のクルマの走行においてはアクセル、ハンドル共に同時に使用
する訳ですが、超・旅「人生」の途上では
闇雲に努力、ではなく、先ずは要領について考えておくことが重要です。

ひたすら一生懸命に走ったとしても、望ましくない方向へ向かって
いたのでは話にもなりません。
 

剛速球は投げられるけど、コントロール下手な野球の投手は実戦
投入は躊躇されてしまいます。


人生においては、「とりあえず数撃ちゃ当たる」的発想では
ロスタイムも多くなります。

トラブルのリスクも増加します。


人生ガイドの役目の上位には、この旅の安全管理指導が
含まれています。

工事現場ではないにしても、やはり、霊界側の配慮により、
実に様々な舞台設定がなされています。

敢えて、危機的状況も設定されています。


「困難課題」は、もはやRPGゲームとしては必要不可欠、
お約束的要素だからです。


こういった超・旅「人生」の舞台裏を知っている人は当然、
人生のテクニシャン、もしくはそれに極めて近い位置にいます。

それはそうでしょう。

ネタバレしている訳ですから・・・・。

大半の人が知らない情報を知っているのですから・・・。

だから、この亮然presents 電子本は誰にでもは勧めることは
望ましくないのです。
 

大丈夫、準備のできた人にしか流れない配慮もなされています。

やはり、「物事には順序がある」これも宇宙真理の根本レベル
のものであり、これから外れることもまた、トラブルの原因となる訳です。

発売から二週間を過ぎた今、入手できた方はようやく
10名を越えたところです。
 

わかる方にはわかることですが、この世の構造をネタバレさせて
しまうことで、ある意味、発禁本のようなものだと思います。


本ブログを閲覧中の方の中に、「この電子本と似たような本を
読んだことがある」もしくは「殆ど知っていた内容だった」という方
は是非、ご一報頂けますよう。

一切の孫引き、他の本を参考に、ということは全くなしに
書き下ろした本なので、私には想像もできないからです。

しかも、私がアタマで考えて書いたものではない不思議な
本だけに・・・・。

私は神仏にとっての手足(道具)であるので、そのお役目に
従っているのみです。
 
 



山神様か木霊様か?混合事例

標題にはこうありますが、実は、そのどちらでもない、
いわば「もののけ」と言われている存在による仕業と考え
られる事例もあります。


先ずは俗に言う「神隠し」の山における事例です。

これも私が臨床勤務時代に滞在した離島にて知った事例でした。
この内容は町史に書かれてあるものでした。

「もののけ」に「神隠し」に、まるで宮崎駿ワールドの様相を
呈しているかのようですが、ファンの方がいれば申し訳ないのですが
私は「風の谷のナウシカ」以外は全く宮崎さんの作品は好きには
なっておりません。(宮崎ファンの方、私のファンはやめないで!)


さて、宮崎サンの話は置いておいて・・・。

事例としては、山菜採りに山に入ったおばあさんが、道に迷って
数日間、行方不明になった話でした。

捜索隊が編成され、後日、無事救出されたのですが、
このおばあさんは救助隊に対してご立腹だったようです。

それは、体力を消耗して身動きができないとはいえ、捜索隊
の人が来たのに気付いて、呼びかけたものの、全く無視して
通り過ぎて行ったではないか!というものでした。

人が一生懸命になって呼びかけているのに、まるでこちらの姿を
無視するかのようにみんな通り過ぎて行った、というものでした。

これはどうも、異次元空間がそこに出現していたことが考えられます。

お祖母さんサイドからは見えていても、捜索隊サイドからは見えないし
声も聞こえない。

距離にしても本当に間近であったとのことでした。


この現象は特定の個性をもった山神様の行いか、もののけの所業か、
はたまた、それ以外の現象なのか定かではありませんが、いわゆる
霊的磁場の高い離島や山の中では全く珍しくないことです。

 



木霊様について④


前回までは、木霊様による障りの実例について述べて来ましたが、
今日は、そういう障りに遭わない為の対応方法について、です。

先ずは、障りの起きる「程度」の背景について知っておきましょう。

ある意味、(仮)公式のようなものがありますが、これについては
ソロン・アサミ先生の連刊本シリーズ「不思議な話」の中に
書かれてあります。

わかりやすくする為に障りの程度を数値に置き換えてみます。

その場合の公式(仮)は[切られる側の木の徳の度合い-
切る人間自身の徳の度合い]といったものです。

樹齢が長ければ長いほど、一般には世の中に対する貢献度
は大きいので単純に樹齢の長い木ほど、徳積みの度合いは
大きいところへ、まだ徳のポイント
どころではない人物が、これを切る立場になったとしましょう。

計算式は限りなく100に近い木の側の徳数値に対し、
ゼロに限りなく近い人間側の
徳数値を引くとその程度は、これはもう言わずもがなです。

障りの具体的内容については、全く、言葉としては触れたく
ない内容となるのでここでは割愛させて頂きますが、あまり
に程度が酷い場合には切った当人だけの
問題では済まず、その縁者にも及ぶというところです。

いわゆるとばっちりを受ける人も出てくることは、
もう言葉にはなりません。

希に、切り手は無知であったとしても、そういう縁者の
位置にいる人の中に詳しい人がいたりすれば、すんでの
ところで助かる場合もあります。

これはハッピーエンド?としてほっとできるのですが・・。

切り手が聞く耳持たず、実行してしまった場合など、
これはその結末については言葉もありません。

さて、上記のような(仮)公式に従ったとして百歩譲って、
どんなに樹齢の長い木であったとしても、その切り手の
人間側も負けず劣らず、徳積みをした人だから
構わないだろう、はないでしょう。

単純に計算式に従えばよいではなく、大切なことは、
共存することです。
むやみに切ることなく、です。

昨今の医学においても、このような考え方が増えている
ことは良い傾向でもあります。

問題箇所をバッサリ切り取ることなく、極力、温存する
方向に動いています。

人間サイドのエゴにより、建築に、道路敷設に邪魔だから
切れば、いいの論法は間違っています。

その木が今日まで人間に限らずそこに暮らす生き物
の為にどれたけの徳を積んでこられたのかを認識することもなく、
単に「邪魔だから」という論法は、相手を生きた存在として、
しかも徳の高き存在として観たなら到底できないことです。

恩義を忘れた人間達に対し、我々が逆の立場で
あったらどうか考えてみてもわかることではないでしょうか?


最近、読んだ本の中では、佐藤可士和氏の著書の中で
紹介している、東京・立川の「ふじようちえん 」の事例が
興味深いです。

木霊様を畏れてか、別の理由かはその背景については
定かではありませんが結果的には全てオーライとなっている
実例です。

全国にも、これに近い建物が探せばありそうですね。

  普段は、いち行者として木霊様に対し意識を送る
ことはありませんが、今回、ご縁あって、取り上げさせて
頂いたこの機に合わせて、改めて日々の目に見えない
あまたの恩恵に感謝の念を送ります。     

                                            合掌。

  南無地上界全木霊
 



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HN:
亮然(Ryouzen)
HP:
性別:
男性
職業:
人生ガイド
趣味:
宇宙真理探求 自然界と親しむこと
自己紹介:
医療、教育の仕事を通して、結果的に三大聖職を経験してきた中で、この世に生きている人間のあり方、「人生」についての研究、実践に生きて来ました。結果、この地上界に滞在している意義、目的を知ることができた人の人生はより幸せであることを悟り、この支援を行うことこそ、わが天職と見極めました。ご縁あった旅仲間と共にあらん。